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エド船長【疾風船】 - Captain Ed of HAYATEBUNE -




エド船長との出会いは、とうに100万viewを突破したPirates of the Caribbean meets Rock (Like a M.Schenker)であるという方が多いのではないだろうか。しかし、彼はそれ以前から特に海外の音楽ファンにはよく知られ、数多くの信奉者や追従者を得ていた。YouTubeで検索してみると、海外のファンによるカバーがいくつも見つかる。それらの中にも100万再生にせまるものさえあるのだ。

エド船長にとってYouTubeは「遊びの場」、心の赴くままにチョイスしたフレーズ(そのチョイスそのものもツボにはまり過ぎて船長の虜になる人々が後を立たない様子だが)を気軽に公開する、世界各国のファンとの交流の場なのである。そういう意味ではエド船長はいわゆる「インターネットギタリスト」ではない。船長のインターネットでの活動はあくまでも視聴者とリアルで向き合う日までの布石といえるかもしれない。

遊びの場とはいってもチャンネル再生回数は13万以上。動画のview総数はなんと230万以上。チャンネル登録者数は3000人に届こうとしている。(2008年12月現在)

インターネットに公開されている演奏動画が自己満足、身内ネタから「エンターテイメント」へ昇華するボーダーを1万viewとすると、エド船長のチャンネルでは実に32の動画が1万viewを超え、5万view以上も7作品もあるのだから尋常ではない。



ギターとの出会い・音楽との出会い

エド船長とギターとの出会いはなんと25年前にさかのぼる。
親が若い頃弄っていたガットギターを半ば強引に持たされたのがキッカケである。しかしその頃はそれほど興味を持たなかった。本人曰く「この頃は、ドラムをやってみたいと思っていた」。

その後TVで吉川晃司を見て、なんか凄い衝撃を受ける。「俺もこんな風に演ってみたい!」と思いたち、放置していたギターを、自らの意思で手にする。

生来、"教わる"という事が嫌いなため、親にも誰にも訊ねること無く、また教則本などにも頼ること無く、まったくの独学・独断で開始(性格奏法体系はおろか、其々の基礎なども知る由無く、所謂"歌本"に掲載されているコードを参考に、当時の歌謡曲等を、素手でストロークするしかできな(わからな)かった、という。

初めてのエレキギターは月々2000円の10回払いでクラスメートから譲り受けたYAMAHAのレスポールモデル。この頃は既に、友達の兄貴の影響(?)で、レインボーやらMSGやらアイアンメイデンやらに、微妙に惹かれはじめているころでもあった。



エド船長のルーツ

これを読めば20年以上前から今日の演奏スタイルまで、エド船長の方向性にブレがないことをお解りいただけるかと思う。まずは影響を受けたアーティストを列挙しよう。

・鈴木賢司 
これぞエレキギター"!ってのを、技術的にも魂的にも教わった人

・高崎晃  
ギタリストとして最初に意識したギタリスト

・リッチー・ブラックモア 
クレイジーなプレイも好きだけど、曲を引き立てるオブリの入れ方にシビれた、素晴らしい旋律を奏でる御仁。

・エドワード・ヴァン・ヘイレン
タッピング(ライトハンド←死語)をはじめとするトリッキーな面がどうしても採り上げられがちだけど、彼の本当の凄さはリフワークと、あの独特のタイム感にあると思う。あと、笑顔。

・イングヴェイ・マルムスティーン
"初心者のためのロックギター教室'85"
船長は言う、「この、友人から譲り受けた一冊の本が、俺の運命を変えた・・・いや、運命だったのだろう。」と。そう、この本で取り上げられていたのは「彼」Yngwie Malmsteenの"ヒロシマ・モナムール"。

この本から受けた衝撃は単に「速いから」では無かった。重要なのは速さそのものでは無く、そこに存在する旋律であって、旋律が速さのために在るのでは無い。速さ(遅さ)は旋律のためにあるのだ、そしてこれはたまたま「速さによってより活きる旋律」なのだ。

・ アル・ディ・メオラ
「"超人的"とは、まさにこの事だ・・・」と。狭い世界(ジャンル)に居た自分を恥じ入るほどだった。

・ウルリッヒ・ロート
最大級に崇めるギタリスト。その楽曲、アティチュード、全てが"至高"の存在。

・ジミ・ヘンドリックス
ジミに関しては語る予定はない、彼は俺の神、あまりにも恐れ多くて・・・というか、"言葉は要らない" 

以上の内容についてはYouTubeで公開されているラインナップと連動している部分もある。

是非併せてエド船長のチャンネルをあらためて視聴してみてほしい。
http://jp.youtube.com/user/hayatebune



Biography

・徳島時代
パンクバンドばっかやってた、コピバンだけどね。ボーカルもやったし、モッズのコピバンではベースもやった。

・上京
「もっとギター弾きたい」って、高校は二年のアタマで中退、実際学校で教わることが自分のこれからに必要とは思えなかったし。
ま、イキオイというか無謀というか(笑)。で、18で上京、みんなの卒業を見届けてからね。その間は日記にもあるとおり、ギター弾くかバイトかの生活。親にこれ以上わがままは言えないと思ったから、ちゃんと自分で上京資金は全額貯めたよ!でも出てくる時には、あちこちからカンパもいただいた、感謝ばかりだ。

とあるツテで、上京一週間で、当時全国的(世界的といってもよいかも)に名の知れたハードコアパンクバンド(ただその時にはゴシックパンクに移行してたけど)に加入のチャンスを得た。
もう、俺が「はい」と言えば決まってたんだけどね、ことわった。俺の音楽はやらせてもらえないとわかったから。田舎の友達にはバカと言われたよwでもま、あれでよかったと思う。

上京して色々な人にあって色々な音楽知って。腕も上がった知識もついた。器用になった。なんか「よくできた」ものが作れるようになったんだけど、自分で聴いて泣けなかった。



・帰郷と再出発

その後大病を患い一旦帰郷。
一年弱で(多くのひとたちのおかげで命拾いして)東京に戻り、「一人でも音楽は出来る」と割り切って、現在を先取りするように多重録音専門になっていた。

しかし船長の本懐はやはりバンドでありライブ活動であった。ついに理想的なメンバーを得て疾風船が出航してからの活動は下記疾風船のウェブサイトをご参照されたい。
疾風船オフィシャルウェブサイト
http://hayatebune.web.fc2.com/
History
http://hayatebune.web.fc2.com/history/top.htm

また船長のサウンドに魅せられた人なら是非知りたい内容がこちらでも参照いただける。
++ ギタリストへ100の質問 ++
http://blog.livedoor.jp/ed209/archives/51228041.html



芸術について

最後にエド船長の芸術についての考えを船長自身の言葉で記す。エド船長の哲学や行動理念が端的に表れているのではないだろうか。

<序>
俺ね、なんでもかんでも、誰かれかまわずアートだのアーティストだのと自称/呼称する風潮がね、大ッ・・・・・嫌いなんですよ。

<破>
"芸術"という言葉に、あなたはどんなイメージを持っていますか?
なんだか"崇高なもの"の様に思ってしまってはいませんか?
"芸術"ってのは、"術"、あくまで"表現手段"なんです、それがたまたま、絵筆を持つことであったり、鍵盤を叩くことであったりするだけのことで、それら自体は、あくまで手法/技法に過ぎないんです。
それだけなら、誰だって少し習えば、ある程度は出来ることなんです。極論、紙屑を部屋にばらまいたり、壁にペンキをぶちまけるだけでも「アートだ」とのたまうことは出来るんです。
・・・つまりね、「"芸術"って偉そう」とか「難しそう」に思わないで欲しいってことなんです。絵でも楽器でも「やってみたい!」と思ったら、気楽に手をつけてみてもらいたいんですよ。(無為に生ずる爆発力こそが、"芸術"であると、俺は思う。)

<急>
自らを(彼等を)"Artist"なる一語で誤魔化している有象無象よ、「私は(彼は)〇〇家です!それ以上でもそれ以下でもありません!」と、叫んでみるがいい、本気ならば言えるはずだ。

<幻>
人として、崇高であるべきは"魂"であると考えます。しかし当然ながら、手法や技法自体に、"それ"は在りません。「手にした術(すべ)を以って、何を顕し、成そうとするのか?」
魂の表出こそが、"崇高"と賞されて然るべきなのです。

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