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海賊王

【海賊王】思い出はおっくせんまん!



国内最大の動画サイト「ニコニコ動画」。
オープンから1年を経ずして400万会員を集め、1人あたりの月間平均利用時間や平均訪問回数はYouTubeよりも多く、日本全体のトラフィックの約10分の1を占めるにまでなり、現在もそのシェアを急速に伸ばしている。今では海外からの注目も高く、実際に海外の方の投稿も多くなってきた。

「演奏してみた」

ニコニコ動画の数あるカテゴリーの中でも、人気の高いカテゴリーの一つ。
そのカテゴリーには、日本中のアマチュアミュージシャンから、プロミュージシャンまで数多くの演奏動画が日々アップロードされている。
数ある演奏動画の中でもとりわけ数が多いのが「ギター」での演奏動画。
アップロードされている動画の多くは他のアーティストのカバー曲が多いが、そのクオリティ足るものは目を見はるものが多い。

「アマチュアでここまで弾けるのか」

そんな群雄割拠する「演奏カテゴリー」のギター分野でも、飛び抜けた演奏力と実力で人気を誇るのが今回ご紹介させて頂く「海賊王」。

エメラルドと名付けられたメインギターはSCHECTERの「EX-V」。
おそらく、彼がこの「エメラルド」を操る姿を見て、SCHECTERを購入した人はかなりの数に登るはずだ。
また、最近では「オーロラ」と命名されたTom Anderson(Drop Top T)も併用し、ギタリストとして更なる広がりを見せている。


彼の動画の詳細欄には全てこんな言葉が書かれている。

--
後、喧嘩はなしでお願いしますね。
仲良くしましょう笑
アレンジ演奏に関しては賛否両論あるかとは思いますが、
皆に楽しんで聞いてもらえれば幸いだと思っています。

--

国内外問わず、楽器の演奏についてはアマチュア~プロまで様々な批評がされる。
インターネット上に自身の動画を公開する以上、不特定多数の方々に見られるのは当然であり、またその内容も賛同~反対、煽りまで様々で、それらが降り掛かる事を知っての上での動画リリースはご存知の通り。

誰が言い始めたのかは定かではないが「音楽は音を楽しむ」と書く。
批評、煽る事もリスナーの楽しみ方と言ってしまっては、楽しむ意味が違ってくる。
しかし、彼はそれら全て承知の上で「皆に楽しんで聞いて貰えれば幸い」と。

自身の演奏動画は他者との力比べではなく、皆が楽しんで見てもらう。
それが最前提として、動画をリリースしている。

だからこそ、ここまでの人気を博しているのだろうと、勝手に推測させて頂いている。
しかし、他のニコニコ動画の演奏者の中でも、実力はあっても海賊王程の人気が出ないのは、そういった音楽に対するスタンスが大きな要素を占めているのではないだろうか。

以下は、本紹介に当たり海賊王にプロフィールの提出を願った所、かなり詳細な内容と

「自分自身のそのままを知ってもらいたいので、文体や表現等そのままでお願いします」

と、申し出られたので、あえて何も脚色せず頂いたそのままで掲載させて頂くことにする。

海賊王の普段の人柄がにじみ出た文体、そしてその言い回しに似つかわしくない、飛び抜けた演奏力。
彼がImaginat Blowと言うある意味、普段とは異種の場でどのような音楽の楽しみ方を見せてくれるのか。

個人的に非常に楽しみで仕方が無い。




【音楽との出会い】

幼稚園の年長から小学校6年生まで、ピアノ教室に通っていました。
きっかけはありがちですが、母親が僕に、楽器を覚える事で今後絶対何かの役にたつと言ったから。

小学校6年生の頃、だんだん僕の中で 「男でピアノって・・・恥ずかしい」という複雑な感情が芽生え、
母親にピアノを辞めたいと告げました。今思えば続けていればよかったなぁと。今ではすっかり男性でピアノ弾ける人はかっこいいなーと思ってます。

小学校から野球をやっていた僕は、中学、高校に行っても大好きな野球を続けると思い、
もう楽器は触る事も少なくなると思っていました。

それでも母親は 楽器をやらせたかったようで、ピアノじゃなくても他の楽器でもいいじゃないと言い、
ピアノを辞め最初にやりたいと思った楽器はギターではなく ドラムでした。

めっちゃかっこいい楽器だと思ってました!(今でもドラム好きですw)
ですが、やはり家では、音量の問題上、練習が出来ないので、音量の調節が出来る楽器にしなさいと言われ、
そこでギターを始めました。・・・と皆さんのようにかっこいい出会いではなかったですw

そんなやりとりもあり、ギターをはじめて触ったのは小学6年生の終わりごろだったでしょうか。
はじめて触ったギターはエレキではなく、母親が持っていたパールのフォークギターでした。
僕が想像していたギターってもっと音でかかったり、見た目がちょっと違うような・・・
そんな不思議を抱きつつ、フォークギターは触ったくらいで練習しなくなり、あっという間に時間が過ぎて行きました。

中学にあがり、はじめてエレキギターの存在をを知りました。かっこいい、その一言です。
初めてのエレキは母親が友人からもらったというYAMAHAのSG600。
練習するようになったのは中学三年生の時、バンドで文化祭に出る事になったからで、
そこから本格的にギターにはまりだしました。




【ギターとは】

僕が偉そうに言える事ではないんですが、
僕にとってのギターは「自分を表現できる方法」かな、と思っています。

僕がギターを続けている理由のひとつに祖母への約束が果たせなかったことがあります。

僕は俗にいうおばあちゃんっ子で、本当に祖母のことが大好きでした。
高校受験の時でさえ、夢中になってギターばかり弾いていて、実は志望していた高校に入れなかったんですが、
そんな時、優しく包んでくれたのが祖母でした。
僕は、なんとか期待に応えたいと思い、祖母を高校に入ってはじめてのライブに招待しました。
年配の祖母にも見やすいように、一番端の僕の前の席。
ですが、残念なことにライブの一週間前に祖母の容態が急変し、かえらぬ人となり
永遠に僕のライブを見てもらうことはできなくなりました。
優しくそばで応援してくれている祖母にいいところを見せたかった、期待に応えたかった。
これが今でも心残りです。ただ、果たせなかったからこそ、いつも自分を超えたいと思ってます。

僕は左手に二本指輪をはめているのですが、小指にはめているのが祖母の形見です。
ギターを弾く時も外さないのは、これをつけていると近くで見ていてくれてるような気がするから。




【影響受けた人】

昔はGLAYのHISASHI

hide。

松本孝弘

このお三方を学生の頃崇拝しておりました!

海外で活躍中のギタリストも挙げればキリがないのですが。。

僕が一番影響を受けたのがDAITAです。
僕はシェクターを今まで3本所有したんですが、全てDAITAの影響からです。
好みはあると思いますが、デザイン、音、さらに僕の手にしっくりきたのですっかり虜です。




【Biography】

出身地は同じくニコニコ動画に投稿している使徒に止められているので伏せますが、笑
ギターを始めてから前述のように文化祭に出るべく、同級生とバンドを組んでいました。
その頃、同じ中学校だった使徒と組んでいました。彼とは小学校から一緒です。
主にGLAYなどの曲をやっていました。
高校にあがってからも同級生でバンドを組み、ライブはちょくちょくやっていました。




地元の高校から専門学校に入学するために上京

理論やスケールなどはここで学びました。
お恥ずかしい話、学校に通うまでの僕は弾くことはできても、
コード名を言われるとどう押さえていいのかわからなかったんです。
専門時代の恩師達には仕事などでも今でもお世話になっていますし、僕自身通えてよかったと思っています。

一年生の時にコンテストで優勝させていただいたのですが、
その時のギターはシェクターのSD2で、ずっと大事にしていたギターなので喜びも一入でした。
そしてそれがはじめて僕がギターで賞をいただいたコンテストになります。




在学中、バンドGreenStereoを結成

ニコニコ動画に投稿している闘魂、使徒含むバンドで活動する。
ボーカルは僕と闘魂でした。現在は活動していません。が、二人とはニコニコで一緒に投稿したり、
ニコニコユーザー主催のライブに一緒に出させていただいたりと、今でも親交は深いです。



ニコニコ動画

PCを持っていなかった僕はニコニコ動画の存在を知りませんでした。
2007年に前述の使徒に「ギターの演奏を投稿するサイトがあるんだけどやってみない?」ともちかけられ
最初はわけもわからずギターを弾いていました。でも数を重ねるごとに僕を知ってくれる人や
応援してくれる人が増えて、本当に嬉しくて。
今でもギター始めました、というメッセージなどをいただくとギター弾いてきてよかったなって思えます。
そして動画を通してたくさんの人と触れ合うことができるなんて、ネットってすごい、この一言に尽きます。




卒業後から現在

リアルではサポートバンドの仕事を中心に活動しています。
最近では並木瑠璃ちゃんのバックをやらせていただきました。
僕自身まだまだ未熟な部分が多いのですが、色んな方に吸収させてもらっています。本当に感謝。
また、都内の音楽学校でギターの講師もさせていただいてます。よかったら遊びにきてください。



●ニコニコ動画 マイリスト
http://www.nicovideo.jp/mylist/2910330

●ブログ
http://ameblo.jp/kaizokuou1985/

●ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/海賊王



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エド船長【疾風船】 - Captain Ed of HAYATEBUNE -




エド船長との出会いは、とうに100万viewを突破したPirates of the Caribbean meets Rock (Like a M.Schenker)であるという方が多いのではないだろうか。しかし、彼はそれ以前から特に海外の音楽ファンにはよく知られ、数多くの信奉者や追従者を得ていた。YouTubeで検索してみると、海外のファンによるカバーがいくつも見つかる。それらの中にも100万再生にせまるものさえあるのだ。

エド船長にとってYouTubeは「遊びの場」、心の赴くままにチョイスしたフレーズ(そのチョイスそのものもツボにはまり過ぎて船長の虜になる人々が後を立たない様子だが)を気軽に公開する、世界各国のファンとの交流の場なのである。そういう意味ではエド船長はいわゆる「インターネットギタリスト」ではない。船長のインターネットでの活動はあくまでも視聴者とリアルで向き合う日までの布石といえるかもしれない。

遊びの場とはいってもチャンネル再生回数は13万以上。動画のview総数はなんと230万以上。チャンネル登録者数は3000人に届こうとしている。(2008年12月現在)

インターネットに公開されている演奏動画が自己満足、身内ネタから「エンターテイメント」へ昇華するボーダーを1万viewとすると、エド船長のチャンネルでは実に32の動画が1万viewを超え、5万view以上も7作品もあるのだから尋常ではない。



ギターとの出会い・音楽との出会い

エド船長とギターとの出会いはなんと25年前にさかのぼる。
親が若い頃弄っていたガットギターを半ば強引に持たされたのがキッカケである。しかしその頃はそれほど興味を持たなかった。本人曰く「この頃は、ドラムをやってみたいと思っていた」。

その後TVで吉川晃司を見て、なんか凄い衝撃を受ける。「俺もこんな風に演ってみたい!」と思いたち、放置していたギターを、自らの意思で手にする。

生来、"教わる"という事が嫌いなため、親にも誰にも訊ねること無く、また教則本などにも頼ること無く、まったくの独学・独断で開始(性格奏法体系はおろか、其々の基礎なども知る由無く、所謂"歌本"に掲載されているコードを参考に、当時の歌謡曲等を、素手でストロークするしかできな(わからな)かった、という。

初めてのエレキギターは月々2000円の10回払いでクラスメートから譲り受けたYAMAHAのレスポールモデル。この頃は既に、友達の兄貴の影響(?)で、レインボーやらMSGやらアイアンメイデンやらに、微妙に惹かれはじめているころでもあった。



エド船長のルーツ

これを読めば20年以上前から今日の演奏スタイルまで、エド船長の方向性にブレがないことをお解りいただけるかと思う。まずは影響を受けたアーティストを列挙しよう。

・鈴木賢司 
これぞエレキギター"!ってのを、技術的にも魂的にも教わった人

・高崎晃  
ギタリストとして最初に意識したギタリスト

・リッチー・ブラックモア 
クレイジーなプレイも好きだけど、曲を引き立てるオブリの入れ方にシビれた、素晴らしい旋律を奏でる御仁。

・エドワード・ヴァン・ヘイレン
タッピング(ライトハンド←死語)をはじめとするトリッキーな面がどうしても採り上げられがちだけど、彼の本当の凄さはリフワークと、あの独特のタイム感にあると思う。あと、笑顔。

・イングヴェイ・マルムスティーン
"初心者のためのロックギター教室'85"
船長は言う、「この、友人から譲り受けた一冊の本が、俺の運命を変えた・・・いや、運命だったのだろう。」と。そう、この本で取り上げられていたのは「彼」Yngwie Malmsteenの"ヒロシマ・モナムール"。

この本から受けた衝撃は単に「速いから」では無かった。重要なのは速さそのものでは無く、そこに存在する旋律であって、旋律が速さのために在るのでは無い。速さ(遅さ)は旋律のためにあるのだ、そしてこれはたまたま「速さによってより活きる旋律」なのだ。

・ アル・ディ・メオラ
「"超人的"とは、まさにこの事だ・・・」と。狭い世界(ジャンル)に居た自分を恥じ入るほどだった。

・ウルリッヒ・ロート
最大級に崇めるギタリスト。その楽曲、アティチュード、全てが"至高"の存在。

・ジミ・ヘンドリックス
ジミに関しては語る予定はない、彼は俺の神、あまりにも恐れ多くて・・・というか、"言葉は要らない" 

以上の内容についてはYouTubeで公開されているラインナップと連動している部分もある。

是非併せてエド船長のチャンネルをあらためて視聴してみてほしい。
http://jp.youtube.com/user/hayatebune



Biography

・徳島時代
パンクバンドばっかやってた、コピバンだけどね。ボーカルもやったし、モッズのコピバンではベースもやった。

・上京
「もっとギター弾きたい」って、高校は二年のアタマで中退、実際学校で教わることが自分のこれからに必要とは思えなかったし。
ま、イキオイというか無謀というか(笑)。で、18で上京、みんなの卒業を見届けてからね。その間は日記にもあるとおり、ギター弾くかバイトかの生活。親にこれ以上わがままは言えないと思ったから、ちゃんと自分で上京資金は全額貯めたよ!でも出てくる時には、あちこちからカンパもいただいた、感謝ばかりだ。

とあるツテで、上京一週間で、当時全国的(世界的といってもよいかも)に名の知れたハードコアパンクバンド(ただその時にはゴシックパンクに移行してたけど)に加入のチャンスを得た。
もう、俺が「はい」と言えば決まってたんだけどね、ことわった。俺の音楽はやらせてもらえないとわかったから。田舎の友達にはバカと言われたよwでもま、あれでよかったと思う。

上京して色々な人にあって色々な音楽知って。腕も上がった知識もついた。器用になった。なんか「よくできた」ものが作れるようになったんだけど、自分で聴いて泣けなかった。



・帰郷と再出発

その後大病を患い一旦帰郷。
一年弱で(多くのひとたちのおかげで命拾いして)東京に戻り、「一人でも音楽は出来る」と割り切って、現在を先取りするように多重録音専門になっていた。

しかし船長の本懐はやはりバンドでありライブ活動であった。ついに理想的なメンバーを得て疾風船が出航してからの活動は下記疾風船のウェブサイトをご参照されたい。
疾風船オフィシャルウェブサイト
http://hayatebune.web.fc2.com/
History
http://hayatebune.web.fc2.com/history/top.htm

また船長のサウンドに魅せられた人なら是非知りたい内容がこちらでも参照いただける。
++ ギタリストへ100の質問 ++
http://blog.livedoor.jp/ed209/archives/51228041.html



芸術について

最後にエド船長の芸術についての考えを船長自身の言葉で記す。エド船長の哲学や行動理念が端的に表れているのではないだろうか。

<序>
俺ね、なんでもかんでも、誰かれかまわずアートだのアーティストだのと自称/呼称する風潮がね、大ッ・・・・・嫌いなんですよ。

<破>
"芸術"という言葉に、あなたはどんなイメージを持っていますか?
なんだか"崇高なもの"の様に思ってしまってはいませんか?
"芸術"ってのは、"術"、あくまで"表現手段"なんです、それがたまたま、絵筆を持つことであったり、鍵盤を叩くことであったりするだけのことで、それら自体は、あくまで手法/技法に過ぎないんです。
それだけなら、誰だって少し習えば、ある程度は出来ることなんです。極論、紙屑を部屋にばらまいたり、壁にペンキをぶちまけるだけでも「アートだ」とのたまうことは出来るんです。
・・・つまりね、「"芸術"って偉そう」とか「難しそう」に思わないで欲しいってことなんです。絵でも楽器でも「やってみたい!」と思ったら、気楽に手をつけてみてもらいたいんですよ。(無為に生ずる爆発力こそが、"芸術"であると、俺は思う。)

<急>
自らを(彼等を)"Artist"なる一語で誤魔化している有象無象よ、「私は(彼は)〇〇家です!それ以上でもそれ以下でもありません!」と、叫んでみるがいい、本気ならば言えるはずだ。

<幻>
人として、崇高であるべきは"魂"であると考えます。しかし当然ながら、手法や技法自体に、"それ"は在りません。「手にした術(すべ)を以って、何を顕し、成そうとするのか?」
魂の表出こそが、"崇高"と賞されて然るべきなのです。

Terrani


Terrani(テラーニ)、またの呼び名を「学院長」

そう。

知る人ぞ知る「Terrani学院 -ギター教室-」の学院長であり講師であり、GibsonレスポールとB'zと酒をこよなく愛するスーパーギタリスト。
そして、なによりもB'z(松本孝弘)の完コピの第一人者でもある。

彼のB'zコピーの完成度の高さは、言葉で表すよりも見て頂いた方が一番手っ取り早い。
数多くアップされている中でも、B'zの曲中最難関のひとつと言ってもよいこの曲を、完璧といってもいい完成度と再現度を誇るこの動画を、ギタリストTerraniの紹介の前口上とさせて頂きたい。
※但し、当人曰くYouTubeの詳細欄にも書いてある下記の通り、一番できが悪いらしい。

--以下YouTube 詳細欄より引用--
そしてこのシリーズで最もデキが悪いかもしれませんが
まぁラフに弾いているとゆーよう な前向きな解釈で大目に見てやってくださいm(_ _)m
--引用ここまで--

動画を見る限りどの口がそんな事を云ってるのかとぼやきたくなるのだが。

[Terrani] B'z ギリギリchop (Version 51) full ver.


お世辞にもTAKの指使いとは似ても似つかないこの独特の弾き方から、どうすればここまでの完成度が弾(はじ)き出されるのか今もって全く理解できない。
ただそれは、「弾ける」ギタリストにとっては当たり前だと怒られそうだが、

「音を出すのは弾き手であって、
機材やギターや弾き方や形ではない」


まさにそれを体現しているのがTerraniである。
後に少し触れるが、学院生のみなさんはご存知の通り弾き方だけでなく、あの「ある種マイナスイオン吹き出しまくりの風貌」から、どうやったらここまでアグレッシブなプレーができるかも重ね重ね疑問である。

そんな疑問だらけのTerrani氏だが、今回本記事を執筆するに当たり、本人より詳細なプロフィールを頂く事ができたので以降それに即して紹介していきたい。
いや、むしろ今回Imaginat Blow GIG2出演に辺り、Terrani氏当人に「公式に掲載してもよいプロフィールを」と依頼したら、彼の持つ独特のオーラをまとった記事が送られてきたので、これに第三者が手を加えると持ち味を損なう恐れがあるので、ほぼ原文のまま紹介したい。



決して手抜きでは無い。



●衝動
「ギターとの出会い」


中学二年。
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒、兵庫県南部を襲った大地震「阪神大震災」
当時、震源地に近い場所に住んでいたので周辺地域が甚大な被害を蒙った。
自分や親族、友達などに死者は出ずどーってことなかったんですが、長い間学校が休みだったので暇で暇で家にあった母のイニシャル入りクラシックギターを暢気に触り始める。

母の名前は暢子。

ギターを触り始めてからは色々なギターの音に興味を持つようになり、中学3年の頃に愛聴していた「福山雅治のオールナイトニッポン」で、福山雅治がリクエストに応えて弾き語っているのを聴いて感動し憧れフォークギターに転向。


中学三年。
年子の姉「サチコ」が高校入学し軽音楽部に入部。
姉が部室から拝借して来たフォークギターをさらに拝借。
鉄弦に出会う。

コード譜雑誌「ソングコング」などを毎月購入して物凄い小声で弾語りしているうちにオープンコードを目で追って4、8、16のストロークが自然にできるようになる。そのうち、簡単なコード弾きがだいたいコード譜初見で通せる感じになってきたので、そろそろエレキギターへの転向を考え始める。



●IT'S SHOWTIME!
「エレキギターへの目覚め」


中学卒業時のレクリエーションでB'zの「さよならなんかは言わせない」を演奏。
B'zは小学校の頃から姉の影響で聴いていたのでこいつはバッチリ!と自然と現在のスタイルの基盤となるB'zのコピーへ没頭しはじめる。

当時はコードストロークしかできなかったTerraniですが「さよならなんかは言わせない」は「D→G→Bm→D→A→G」という非常に簡単なオープンコードのアルペジオでほぼ完コピとなるため

「TerraniくんCDと同じやん!!!」

とヒーローに。


「エレキ、B'z、モテまっせ」

この、不滅の方程式にほだされ、音楽雑誌の広告欄によく掲載されているエレキギター初心者セットを購入。
赤&黒バーストというローストビーフのようなギターでB'zのコピーを始める。

その後、よくいるギターを買ったがすぐ辞めてただのオブジェにという友人宅から松本孝弘モデル「YAMAHA MG-M?G」を拝借。

思えば小学生のころから姉の「サチコ」がB'zファンで家族で出かけるときのカーステから流れる音楽がB'zでした。
アルバム「RUN」に収録されている「NATIVE DANCE」で多用されているTAK得意のカッティングを聴いて、なんだこのカッコイイ音はと、その音がギターか何かもわからないまま憧れていました。



● 愛のバクダン
「ハマちゃんとヤマハ音楽教室と師匠」


高校入学。
クラスで一番カワイイ女子「ハマちゃん」が

「地元のヤマハ音楽教室でギターを習っているらしい。」

という確かな情報を得たTerraniは、この頃すでにそこそこ弾けていて他人からギターを習うつもりなどサラサラなかったにもかかわらずハマちゃんと仲良くなるためだけに「ヤマハ音楽教室」に入会。
しかし、このヤマハ音楽教室は3ヶ月で辞める事になり、その後ハマちゃんとどうなったかは知る由もない。

しかしながら、この時に出会ったヤマハ講師「富永寛之」氏の演奏が凄すぎて「上には上がいるもんだ」と早めに気付くも少々時は流れる。




●ZERO
「原点」


この時点で周りと比べるとかなり普通に弾けていたのでヘルプ的な感じで色々と頼まれGLAYやジュディマリのコピバンなどもやったりしつつ~家でも朝までどころか昼すぎまでギターを弾く生活にシフトしていく様になる。
当然ながら、そのまま高校生活も途中でピリオドを迎える事となり、同時に親も泣かせることになる。

しかしながら、Terrani氏は高校中退の原因をこうも語ってくれている。

--
高二のはじめごろ、尼崎インター降りてすぐのギターショップ「阪神」にて
中古で3万円のグレコレスポールを購入。

「グレコ」

なんてカッコいいギターなんだ。
とは言えやはりギブソンに憧れがあったのでその後ピックアップのみギブソン「57クラシック」に載せ換える。

「これほとんどギブソンやな。カッコええ。」

と、調子にのって高校を辞めた。

--

まったくもって、つかみようが無い男である。
いずれにせよ、ギターの経験を得るため自身の学歴にピリオドを打った事は事実である。



しかしながら、ニートという言葉が生まれるずいぶん前、フリーターという言葉にすらまだ手垢がついていなかった時代だったため親の顔を立てる意味で神戸の某K陽音楽学院に入学する。

120万も払ったのにあまりにもつまらない授業とハゲたクソ講師ばかりだったので、2週目以降はN川さん(おそらく超有名ギタリストの親族)という金髪でガラの悪いお方が講師を勤めていたクラシックギターの授業のみ受けるようになる。

そして、そもそも温い学生気分が苦手だということを思い出し、2週間ほどでフェードアウト。
その勢いで、先の音楽教室で出会った富永氏に師事する事となる。

その後、神戸三宮北野坂の「T2楽屋」にて毎月行われていた師匠主催のブルースセッションにイヤイヤ参加。
もちろん師匠に影響を受けていたものの断固B'z完コピしかしないという意味不明な姿勢でギターに没頭していたためブルースやジャズという音楽自体、そもそもアドリブでギターを弾くということが非常に苦手(なまま現在に至る)。
しかしながらピックだけは師匠の影響で、現在も愛用しているピック「Jim Dunlop JAZZIII」を使い始める。



●FIREBALL
「上京」


Terraniが18歳になる直前に師匠がスピード違反で免許取消になる。

運転手やりますよ!

とさっそく合宿免許へ。
18歳の誕生日を「勝英自動車学校@津山」で過ごす。

通常、ギタリストというのはギターを担いで現場に行けば良いだけなので運転手やローディーといったスタッフ的に人間を同伴することがありません。
しかも師匠は当時20代で、40代のミュージシャンたちといっしょに仕事をしていたので若手が偉そうに弟子を連れて行くのはもってのほか。

しかし免許がないんだから仕方がない。
ということで様々な現場に同行して勉強。

そうこうしているうちに師匠がツアーバンド「バンバンバザール」に加入し上京。


一人でギターをやることの虚しさを感じテンションが下がりこれではイケナイとギブソンレスポール購入。
大阪梅田の楽器屋を巡り試奏したが、どれを弾いても

「ギブソン最高やな」

としか思えないので色と木目だけを見て選ぶ。

上記バンバンバザールは全国ツアーを毎年数本こなすバンドだったため神戸にも年に数回やってくる。

俺も東京行こかな。と、勢いでそのツアー車に乗り込み上京。
荷物はギブソンと原付とプレステ2。

所持金2万円。

その後数年バンバンバザールのスタッフを勤める。
CDレコーディングがほぼ一発録りのため

「ギターのダビングめんどくさいからオマエ弾いてくれ。」

ということでたまに替え玉レコーディングにも参加。


ある年、バンバンバザール主催の野外イベント
「勝手にウッドストック」
の深夜ジャズセッションにて何も弾けずにただ見ているだけの自分に嫌気がさし

「完コピ辞めよう。」

とB'z完コピ人生に墓を立てるべく

「現在弾ける曲を公開してもう二度と弾かない」

ということで順に終わらせていこうと動画をUPし始めたもののニコニコ動画やYouTubeにUPして数ヶ月後には各コンテンツのランキング上位にチラホラmixiにもコミュニティができ1,000人超え。引っ込みがつかなくなる。



●ALONE
「そして、 ZEROからゆるぎないものひとつ、へ。」


2007年10月。

当時勤めていたリ○ルートのRx5モバイル部門が消滅して無職となる。
会社都合のため退職後3ヶ月は給料を貰いながら寝て過ごす。
この無職期間に友人が主催する俳優養成講座の音楽部門を手伝う。
3ヵ月後、そろそろ新しい仕事を探すのでもうお手伝いはちょっと…というTerraniに

「キミそんなギター弾けて人気もあるんやったら教室でもやったらええがな」

とその友人の軽いノリに乗せられて生徒募集。

この事がTerraniにとって最も大きなギター人生の転機となる。

意外にもアッサリと教室が成り立つ程度の生徒が集まるようになり現在ではGoogleで「ギター教室」と検索すればその他のキーワードとして「terrani ギター教室」と表示されるほどギター教室としての認知度が高まっている。

T'zのライブ終了後、深夜になると学院から「居酒屋 寺兄」へと変貌する例の教室でTerrani氏は自身のギター教室をこうも語ってくれた。
また、この事は言い回しを変え、Terrani氏のブログでも触れられている。

「自分のギタースタイルよりなにもよりも、自分にとって最も大切な事はギター教室。」

--2008年12月5日のブログから引用--
身内ネタとか音楽に関係無いネタを話すことに関しては賛否両論あるかも知れませんが、T'zに関して言えば私はあーゆーのも素晴らしいと思っています。
ヒットチャートに上ることを目指すオリジナルバンドならあーゆーのはナシですが、我々が生きるということはそれぞれ

hellmanは自分の音楽。
私は自分のギター教室。
目玉オヤジは自分の島。

という自分のSacred Fieldを大切にし、みんなに知ってもらい、蔑まれたら牙を剥く。
これが我々の生業でこれからもその基盤の上にT'zというバンドが成り立って行くでしょう。

http://ameblo.jp/terrani/entry-10173894418.html

--引用ここまで--



●MOVE
「そして、熱き鼓動の果て、へ。」


2008年10月。
ヘルマン氏とのコラボユニット「TwoHist」結成。
11月に開催したB'zコピバン「T'z」と「TwoHist」のライブも盛況にて終了。


●YouTube Channnel
http://jp.youtube.com/Terrani1960

(2008年12月11日現在)
#80 - Most Subscribed (All Time)
#19 - Most Subscribed (All Time) - ミュージシャン
#26 - Most Viewed (This Month) - ミュージシャン
#10 - Most Viewed (All Time) - ミュージシャン

●ブログ
http://profile.ameba.jp/terrani/

●ルーム
http://ameblo.jp/terrani/


------Equipment------
Guitar :Gibson 60s LesPaul standard 2002 HB
Serial Number:01412355
strings:ERNIE BALL 2221 Regular Slinky 10-46
Height of string:1st 12f 2mm,6th 12f 3mm

Pick :Jim Dunlop jazz3
Effector:KORG PX3T PANDORA
Speaker :TIMEDOMAIN light
Camera :Canon IXY DIGITAL 800IS




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